1-2.活動終了要因の整理

1999年からの活動が停滞し活動終了に至った要因を整理する。メンバーによって何が悪かったと感じるかは様々であろうが、ここでは木村、小清水、根岸で簡単に確認しあったものをまとめる。

活動テーマ設定の問題

当時取り組んでいたプロジェクトは第2回政党環境政策調査(2-1節参照)である。これは、1997年から取り組み報告書を出版した第1回政党環境政策調査を継続・発展させるという趣旨で始めた。「第1回調査には改善すべき点がある」「調査目的から考えると継続させないと意味がない」といった理由からこの活動テーマに設定したのだが、今から考えるとやや安易であったと言える。というのは、結果的には次のような問題が生じたからだ。

調査活動の専門性の高度化

政党の政策分析をしていく上で、政治学および政策評価分野の専門性、およびデータ収集・分析のための膨大な労力が必要になってきた。しかしプロジェクトメンバーの誰もがそれらの専攻でなく、強い興味関心を持ったり詳しかったりするわけではなかった。そのため、例えば政党の政策を調べることの意義について自信がもてない、国会議事録から政策評価する手法がよくわからない、データ整理作業がなかなか進まない、など調査進行上の障害が大きくなってきた。活動の中心メンバーに、政治学や政策評価に詳しいかあるいは大きな興味を持つ学生(学部生でも十分)が一人でもいればこの問題は解決できたかも知れない。そういったメンバーを勧誘する必要性はもちろん認識していたが、人手不足もあって十分に勧誘活動ができず結局問題を解決できなかった。

社会的ニーズと活動メンバーのニーズの刷り合わせの失敗

活動メンバーの皆が「第2回政党環境政策調査をやることには大きな社会的意義がある」「それに取り組むのは自分にとっても、それなりに興味深いことだ」と考え、納得して活動に取り組んでいたと思う。しかし本当にこのプロジェクトを需要していたかというと大きな疑問が残る。活動メンバーの興味としても、特に政党政治などに強い関心を持っているわけではなかった。また、自分達で独自の新しい活動テーマを設定しそれを実践していくということが、学生のサークル活動にとって非常に重要な要素でもある。第1回政党環境政策調査が終わった時に、活動メンバーがやりたいことを一度白紙の状態で話し合う必要があったのかも知れない。いずれにせよ活動メンバーのニーズを確認して、それを活動テーマにつなげるということは十分にできていなかった。

政党環境政策調査自体は非常に意義のある企画である。しかし、「意義があるから続けるべき」として第2回政党環境政策調査をテーマに選んだことには、大きく2つの問題点があった。まず、調査の性質上より質の高くすることを目指さざるを得ず、高い専門性や膨大な労力が要求されることになり、結局自分達に実現可能でなくなったということ。そして活動メンバーの興味や活動経験などを考慮してそれとテーマを刷り合わせる作業が十分になされなかったということ。これは、専門性志向・成果志向の強い組織は共通して抱える問題ではないかと思われる。

新入生の確保の難しさ

学内サークルと比べて、インカレサークルは基盤となる場所がないためにリクルートが難しい。我々も、エコリーグのギャザリングなどでは自主企画や勧誘活動を行うとともにホームページから興味を持った人の受け入れにも力を入れていたが、やはり勧誘活動に避ける人手・労力があまりなかったために十分な新入生勧誘活動ができなかった。また、こちらが求めていた層が、大学に入りたての1年生よりもむしろ学内サークルである程度経験を積んだり専門の勉強をして知見や問題意識を深めたりした3,4年生であったことも、リクルートが難しかった要因にある。ターゲットをエコリーグなどに参加してくる新入生よりも、各大学の政策系・政治系サークルにシフトして勧誘活動を進める必要があったが、それも人手不足で結局できなかった。

成果重視のマネジメント方針の弊害

1998年以降の第2回政党環境政策調査では、「第1回調査の問題点を克服してより高いクオリティーの調査結果を出す」ことを目指していたため、活動メンバーの経験や知見習得などよりもアウトプットの質の方に重点を置いた。同時に、参加者が高学年化していたことから、マネジメントの効率化が必要と考えてスタッフケアやスケジュール管理などの労力を出来る限り省いていた。このマネジメント方針は、ある程度の期間一緒に活動した信頼関係がメンバー間にできている、あるいは学内サークルで十分な活動経験を積んだメンバーである、といった条件のもとではうまく機能したかもしれない。しかし、所属大学も異なり活動経験や問題意識も異なるメンバーが集まった環境オープンゼミでは、結果的にはこの方針によって、メンバー間で問題意識がうまく共有できない、活動経験・知識のギャップが開く、締め切りが守れず期限がずるずる延びる、といった弊害が強くなった。ただし、サークルのマネジメントに携われる人手が極めて限られていたため、成果重視・効率化の方針を取ることはやむを得なかったことなのかも知れない。

より良い活動の場の出現

環境オープンゼミの活動停滞が著しくなったちょうどその頃に、新しく「環境政策ネットワーク」が設立された。研究者や官僚、政治家など社会人も広く巻き込んで環境政策を改善していくことを目指して設立されたこのネットワークの意義は極めて大きく、メンバーにとっても非常に魅力的であった。実際、当時の環境オープンゼミの活動メンバーはほぼ全て環境政策ネットワークの活動に積極的に参加するようになった 。環境政策ネットワークという、環境オープンゼミメンバーにとってより良い活動の場がができたことにより、環境オープンゼミの活動にこだわる必要がなくなったといえる。