エピソードⅥ「環境オープンゼミの多様な活動・めいこ時代」

1995年(平成7年)

9月 環境オープンゼミ総会開催
   第3代 代表に松本明子(大東文化大学文学部)が就任
   ライフスタイル研究会(L研)第1回勉強会
10月 農工大2サークルと日の出処分場見学
11月 「環境政策研究会」発足(責任者;小清水宏如)
    ~環境問題の解決手法をシステム面から「政策」的に学ぶ研究会~
12月 エコ・リーグギャザリングで環政研・L研共に分科会出展

1996年(平成8年)

2月 「環境オープンゼミ宣言」発表
   エコ・リーグ担当に小清水宏如(広報)がなり、エコ・リーグ事務局員も兼ねる
   東京都処分場見学
4月 多摩のサークルネットツアー(ホストサークル・玉川大TERRA)に参加
5月 ASJのリーダーシップトレーニング合宿を運営メンバー受講
   インカレ合同新勧を北沢タウンホールで開催
   環境オープンゼミ会報「White Board」が「Side Board」に
6月 エコマーケット「注文の多い文具展」開催

1995年(平成7年)9月に「環境オープンゼミ総会」を開催。総会の場で第3代代表に松本明子(大東文化大学文学部)が就任することが承認された。

新執行部の会計や編集はそのままであったが、総務に大山直美が就任。その後、10月には小清水宏如が広報に就任した。同月には農工大学の自然保護研究会・ごみ研究会のメンバーらと環境オープンゼミメンバーが日の出処分場への見学をし、現地で反対運動をしている人達との話を聞いた。11月には小清水宏如が環境問題の解決手法をシステム面から「政策」的に学び、将来的には政策提言ができる人材を目指すことを目的とした研究会 「環境政策研究会」をゼミ内で立ち上げ、第1回は「環境行政と環境省構想」という題目で勉強会を行った。

12月にはエコ・リーグへのさらなる積極的交流を進めるため、ギャザリングで環政研とL研の両方から分科会を出展。(以後、毎回ギャザリングでの分科会出展記録が続く)

1996年(平成8年)2月には広報の小清水宏如が「エコ・リーグ担当」になったのを機に、エコ・リーグに対して環境オープンゼミとの関係についての申し合わせを規定した「環境オープンゼミ宣言」を発表し、エコ・リーグの事務局員をしても兼ねることになった。当時のエコ・リーグ東日本ブロック第3代代表の木島洋嗣が各加盟団体よりエコ・リーグ担当を一人派遣してもらうという方針をたてていたのにあわせ、エコ・リーグとの関係を明確化するために先取りして発表したのであった。同じ2月には東京都の処分場見学をし、スタディーツアーを企画した。この頃になると、講演会に対するモチベーションがやや薄れてきてしまい、もっと環境問題を多くの人に感じてもらおう、気づいてもらおうということで、エコ商品の展示会を企画しようという話になり、再生紙や非木材紙でできたノートなどの身近な文具類がお店にいってもまばらであるにはしてもそんなに数は少ない、若い女性をターゲットにそれらの展示及び販売会をしようと、2月から準備を進めた。

4月には玉川大学の環境サークルTERRAがホストとなり、「サークルネットツアー」を開催し、東の環境サークルが参加する中で環境オープンゼミも参加。5月の連休中にASJのリーダーシップトレーニングを山梨の塩山へ1泊2日で運営メンバー全員で受けにいった。同月にはきゃんえこ・A SEED JAPAN・エコ・リーグ事務局の3団体と「インカレサークル合同新勧」を開催。(この時に堀まゆみが参加)事務局は環境オープンゼミが行った。6月までの間、いろいろな団体で企画があるたびごとにできるだけ参加し、エコマーケットを宣伝する。(長谷川賢にもそんな中、A SEED JAPAN のアジアプロジェクトの報告会で出会う)

エコマーケットの方は本格的に製紙会社等からの協賛を募り、商品の交渉など各人がかなりハードにスケジュールをこなして、6月22日・23日に「エコマーケット「注文の多い文具展」」(実行委員長:渡辺新)を開催。原宿の同潤会アパートで2日間行い、約300名近い人達が入場。新聞でも報道され大盛況の内に終わった。

環境オープンゼミの活動もこれまでとはかなり違った側面からの活動形態になり、多様性がでてきた。なお、この年の4月に「グリーン購入ネットワーク」が誕生し、環境オープンゼミも会員となった。