エピソードⅤ 「環境オープンゼミの守成と発展・池田時代」

1994年(平成6年)

4月  第2代 代表に池田玲介(早稲田大学文学部)が就任
8月 全国青年環境連盟(エコ・リーグ)発足  

1995年(平成7年)

3月 エコ・リーグに加盟
6月  会員制度創設
   環境オープンゼミ会報「White Board」創刊
8月 「皆農塾」で有機農業の体験ツアー
エコ・リーグ全国ギャザリングで初の分科会を開催(担当:池田玲介)
運営会議合宿をオリセンで開催
「ライフスタイル研究会」発足が決定 ~自分身近な生活から環境問題を学ぶ研究会~   

環境オープンゼミ合宿の翌4月には第2代代表に池田玲介(早稲田大学文学部)が就任し、引き続き、講演会の企画・運営をしていった。

池田時代には以下のような考えで環境オープンゼミの活動をすすめていった。

1.さまざまな方法を通じて生きた勉強をする
2.名実共に「オープン」な場にする
3.人々や社会に広く働きかける

というものであった。

1については専門家の話ばかりではなく、参加型のワークショップや現場を訪れるスタディーツアーを同時並行的に進めようというものであり、2については新しい人が入っても定着するような雰囲気づくりをするというもの、3についてはこれまでの環境オープンゼミ(つまり連続講演会という場)は中立的な勉強の場という位置づけがあったが、最終的に社会の改善や人々の意識や行動を変えたりすることに活動をつなげていこうというものであった。

この時期の講演会は1年間のテーマは決めずに各メンバーの興味あるテーマを題目として、自らが担当となる形式になっていた。講演会のテーマに沿った勉強会も自主的に開かれるようになり、「自由貿易と環境保護の調和を目指して」という題名で小峰孝史が自主勉強会も開いたりして、各メンバー主催の勉強会もこの頃になってようやく時間をとってできるようになった。また、これまでの連続講演会ではBTMの3大紙の3編集委員に毎回お願いしていたが、学生が司会をやることになり、コーディネーターをおかなくなった。さらに6月からの講演会は有料とし、500円を基準額として設定した。

また、ミーティング場所もBTM時代からずっと使っていた「カトレア」(新宿駅B6出口付近の川瀬ビルにあった。現在はマンガ喫茶になっている)というお店がつぶれ、主なミーティング場所はオリセンやボランティアセンターになったのもこの頃であった。

1995年(平成7年)3月には他団体の交流を促進するべく、その前の年の夏に誕生した全国青年環境連盟(エコ・リーグ)に加盟。この頃からA SEED JAPANとの関係も友好的となったようである。また、企画倒れになったようだが、学校周りをして環境オープンゼミを広めようということで農工大の自保研や東大の環境三四郎、ICU高校などとの交流計画があった。ミーティングでも他の団体の情報や動向が報告されるようになってきた。5月に東日本ブロックで行われたエコ・リーグ主催のギャザリングに松本明子が派遣された。

6月には環境オープンゼミ会報「White Board」を創刊。それに伴い、対外的な信頼を得ることや自主財源としての位置づけから会員制度を創設した。(ただし、基準額という名で)会報「White Board」は環境オープンゼミ内の情報共有を進めるねらいと対外的には開かれた意見表明の場という機能をもつことをねらいとし、毎月発行し、会員に配布していた。なお、編集はこの時期に入った渡辺新が担当した。

当初は環境オープンゼミ合宿を再度企画しようということも検討したが、原剛さんを囲む会として企画を練り直し、9月に特別講座として「日本の農業を考える」という題目で話をしてもらった。

この年の2月頃から検討していた環境オープンゼミの組織化によって、代表・副代表・会計・渉外・広報・総務がそれぞれ創設された。この頃の中核メンバーは池田玲介を代表に、松本明子(副代表)、波多野千絵(会計)(4月には会計が田中寛子に引き継がれる)、野口貴菜(渉外)、渡辺新(編集)、森野鯉都、安田馨らがいた。

8月にはエコ・リーグ主催のギャザリングに池田代表、橋本雅尚が参加し、郵便貯金とODAの関係分科会を開くなどして環境オープンゼミの活動を紹介した。(この時に小清水宏如が参加)。同月の中旬には埼玉県西部にある「皆農塾」で有機農業の体験ツアーを開催した。

さらにこの時の月末には事務局メンバーで今後の運営のあり方について検討する会議合宿をオリセンで開き、今後の環境オープンゼミ全体について討議した。その結果、環境オープンゼミの長期目標を「環境問題の解決」と位置づけ、これの目標を下に、活動を進めていくことが合意された。

ゼミの運営メンバーの知識を深めるために勉強会を立ち上げようと「ライフスタイル研究会」がゼミ内に発足。自分身近な生活から環境問題を学ぶ研究会という位置づけでスタートし、9月30日に「ごみ」をテーマに第1回目の勉強会を行った。とかく宙に浮きがちな環境問題を自分達との生活とのかかわりの中でとらえてみるという方針をとることとなった。

池田時代になって、環境オープンゼミも会員制度や会報、役職の確立などで、「組織としての基礎」が図られ、また同時に代表個人のフットワークの良さと他団体との個人的なつながりの広さ、また「エコ・リーグ」への加盟によって、環境オープンゼミの学生環境業界における知名度もアップした。また、A SEED JAPANとも関係が緊密になり、結成当時などのしこりは事実上なくなっていた。