環境オープンゼミ
エピソードⅠ「環境オープンゼミの起源」
1991年(平成3年)
9月 設立記者会見 A SEED JAPAN発足呼びかけをする(代表;菅野暁太)
10月 「A SEED国際キャンペーン」の日本の窓口として「A SEED JAPANキャンペーン」を設立。(この頃に永見靖、立川加入)
12月 全国各地でセミナーを開催
1992年(平成4年)
3月 日本青年環境会議(March Meeting)を東京で開催
3月 地球サミット最終準備会合(Prep Com NY)に永見靖らが参加
4月~5月頃か?
環境問題研究グループ「Watcher’s Lab」を結成
1990年(平成2年)10月、世界各地の青年環境団体が参加して、1992年に行われる「地球サミット」に向けて青年の声を届けようという「A SEED国際キャンペーン」が欧米中心にスタートする。(ちなみに「A SEED」とは「Action for Solidarity, Equality, Environment and Development」の略で、日本語にすると、「青年による環境と開発と平等と協力のための国際行動」である。)
日本でもこの動きに呼応するべく、1991年(平成3年)9月に設立呼びかけのための記者会見を行い、日本における「A SEED JAPAN」発足の呼びかけをする。その時の代表が菅野暁太であった。(共同代表とか共同発起人がいたとかの諸説あり)
翌10月に「グループ環」「環境新選組」「ECO Sophia」「FA Network」「ほんの木」の5環境団体6人の共同代表システムをとる。その後、全国各地でセミナーを開催する。
翌1992年(平成3年)3月に「日本青年環境会議」(March Meeting)を東京のオリセンで開催。いわば、ギャザリングのさきがけである。(なお、これに初参加したのが赤星・中村コンビ、後のきゃんえこ創設者達)永見靖はこの企画に事務局として関わる。また、同じ月にニューヨークで行われた地球サミット最終準備会合(Prep Com NY)にオブザーバーとして参加し、地球サミットの準備前の会合において情報収集をした。
帰国後、(4月~5月頃か?諸説あり)考え方・運営の相違・財政的なことなどで、内部で対立があり(諸説あり)、菅野暁太、永見靖、立川友子、西野淑美、篠原禎忠、千田裕美子の6名はA SEED JAPANとは別の団体として、環境問題研究グループ「Watcher’s Lab」を結成した。新グループの代表的存在には立川友子が担い、以下の理念を掲げて新たなグループを結成した。
1.社会的な影響力を持つ人々に対して意見を訴えていく。
2.建設的な提案を打ち出していく。
3.将来的に日本の社会を引っ張っていけるような力・能力を各メンバーが獲得する。
ただ、反対を唱えるだけでなく、代替案を提案していく活動の重要性を痛感した結果の賜物であるといえるかもしれないし、また、この理念は今の環境オープンゼミにも引き継がれているような気がしており、青年の環境活動が開始されつつあったこの時期がいわば環境オープンゼミの起源といえるであろう。